2002年6月6日
古事記、日本書紀によれば、天皇の祖先は天から高千穂の峰に降り
てきたということになっており(天孫降臨)、その土地は宮崎あるいは鹿児
島と解釈されいるのが一般的なのですが、神話、伝説とはいえ何らかの
実態的背景があるはずであり、天孫降臨の地が南九州というのはいか
にも不自然とかねてから思っていました。
天皇一族が、稲作、金属器などをもたらした弥生時代の渡来人の有力
勢力のひとつであったことは確実であり、仮に南九州から大和に侵入した
としても、南九州に至る前には朝鮮半島からまず北九州に上陸したと考え
るのが自然だからです。
金達寿「日本の中の朝鮮文化~筑前・筑後・豊前・豊後」(講談社学術文
庫)により、この疑問が一挙に氷解しました。
すなわち、この本によれば福岡県西部の脊振山地こそ天孫降臨の地、
高千穂の峰のイメージの起源であるというのです。
その根拠の詳細をここに掲げる余裕はありません。
ただ、天孫降臨・宮崎、鹿児島説を生み出す原因となったのは、高千穂
の峰は「日向」にありとの古事記、日本書紀の記述なのですが、脊振山地
に「日向峠」(「ひなた」峠と呼ばれている)があり、先日その峠を歩いて越え、
峠の展望台から古代豪族を育んだであろう豊かに広がる平野を眺め、天
孫降臨・脊振山地説のリアリティをたっぷり感じてきました。
更に、大和朝廷に対する筑紫の大反乱である磐井の乱(527年)という
のがあるのですが、その磐井氏こそ渡来人の本流として北九州にとどまっ
た一族であり、南九州に移動せざるをえなかった一族とともに大和に移動
せざるをえなかった天皇一族は渡来人の傍流であり、大和で勢力をえた
傍流が本流を破ったのが磐井の乱であった、すなわち磐井の乱とは本流
からすれば天皇一族の乱であったという仮説を持つに至りました。