2011年5月20日(出来たて)
橋下大阪府知事が君が代斉唱時に起立しない教員を免職させるという
方針を打ち出したという報道がありました。
橋下府知事には、以下のような視点が全く欠如していると思われます。
再掲します。
2004年6月19日
昭和30年代のことですが、自宅周辺の工場の始業の合図にサイレン
が鳴っていました。私の亡き母親は、それを空襲警報を思い出させるも
のとして大変嫌っていました。また、運動会での生徒の行進を学徒動員
を思い出させるのでいやだと言い、行進の最前列で意気揚々としていた
私をびっくりさせました。
東京都教育委員会は、卒業式、入学式で日の丸に向かい起立して君
が代を斉唱することを拒否した教職員を大量処分したそうです。
先の大戦での日の丸と君が代を実体験した教職員はもはやいないで
しょうが、知りえた知識によって日の丸、君が代に自らが起立、斉唱す
ることに嫌悪を感じる教職員の存在は不自然ではありません。また、自
らが属する社会への心情を日の丸、君が代という代替物に対して表わ
すというフェティシズムを倒錯として嫌悪を感じるのも不自然ではありま
せん。(そういう嫌悪をもたない人がむしろ多数派であることを前提とし
つつ‥‥)
このように考えますと、東京都教育委員会の処分を「思想、信条の自
由」「表現の自由」という憲法上の問題とする考え方がありますが、同時
にここには「不快」「嫌悪」を感じる人にどの程度「不快」「嫌悪」を強制で
きるかという問題もあると考えられます。
教育公務員には、その職務に伴う義務は当然にありますが、日の丸、
君が代に対する能動的行動を義務とするのは、フェティシズムの強制
ということであって理論的に困難であり、ましてやそのことについて処分
の理由とすることは「個人の尊厳」(好悪を尊重されるということもその
内容に当然含まれるはず)を犯すものといわねばなりません。