2002年9月12日
土佐藩では、同じ武士でも郷士と上士の差別が激しく、対立も厳しかっ
たことは坂本龍馬の話などで有名です。
安岡章太郎の随筆「龍馬と革靴」(「慈雨」所収)によれば、幕末に井口
村事件というのがあって、郷士と上士の喧嘩で郷士二人が切腹を余儀な
くされ、一人は喧嘩の当事者なのですが、もう一人はことの成り行きでい
わばとばっちりを受けた13、4歳の少年だったそうです。
「何でも泣いてイヤがるのを無理矢理言いふくめて腹を切らせたという話
が残っているが……」
「喜久馬(少年の名)が切腹するとき『泣いちゃいかん、泣かれんぜよ』と
皆でなだめきかせたという話……」
さて、安岡は触れていないのですが、私の関心は、まわりの人間が少
年にどのように言いふくめたのか、どのようになだめきかせたのかという
ことです。(少年の首を刎ねたのは少年の兄で、有名な寺田寅彦の父だ
ったそうです。)
今の時代そんな残酷に直面することはないだろう、そんな時代に生まれ
なくてよかった、というのが率直なところでしょう。
しかし、切腹をイヤがる少年に「死ね、腹を切れ」と言いふくめることは、
生きることをイヤがる少年に「死ぬな、生きろ」と言いふくめるのと本質的
には同じ課題のはずです。
当時の時代を反映して、少年には「藩のために」とか「郷士仲間のため
に」とか言われたのでしょう。(少年の家「宇賀家」は家名断絶になったそ
うで、それは予測されていたでしょうから「家のため」とは言われなかった
と思われます。)
「藩のために」あるいは「郷士仲間のために」少年と同じように自分たち
も死ぬのだから、生きるのだから、という理念共有、目的共有の立場に立
っての言いふくめでしかありえなかったでしょう。
「死ね」にしろ「生きろ」にしろ、今の時代、相手と自分は理念共有、目的
共有の立場にあると言うのは、はなはだ困難です。
「生きるって、本当は楽しいはず」などとチャチなことを言っているようで
は、時代を克服できそうもありません。