2002年9月27日
9月14日(土)、まだ残暑厳しき中、6世紀初頭(527)の反乱者、筑紫君
磐井の墳墓である福岡県八女市北郊の前方後円墳、岩戸山古墳に行っ
てきました。
古墳を実際に見て、また隣接の岩戸山歴史資料館での展示物、また説
明員の丁寧な説明から、磐井の乱は大和朝廷に対する地方の一豪族の
反乱などとは到底片付けられない古代日本史上の重大事件であり、その
解明によっては歴史が書き換えられなければならないほどの意義を有す
るものであるということを肌で感じてきました。
その理由を上げると次のとおりです。
1 磐井の乱は継体天皇の時代に発生しているのですが、継体天皇こそ、
その出自に謎があり、天皇家の万世一系であることを最も疑わせる天
皇であること。
2 乱は、任那(加羅又は加耶)を新羅から助けようとする大和朝廷に対し
て、磐井は新羅と通じているとされるという外交問題が原因となって発生
していること。
3 古墳を囲んでいたとされる巨大石人、石馬などは、他地域では見られ
ないものであり、阿蘇の凝灰岩という素材に恵まれていたということはあ
るものの、いわゆる「和風」ではない異質の文化を感じさせるものである
こと。
当時の朝鮮半島における部族対立(高句麗、新羅、百済、加羅)が、そ
れぞれを出身母体とする日本の支配層にそのまま反映されたのが日本
の古代ではないか、磐井の乱も、継体天皇の登場も、その他の天皇家の
血統変化も、そのストーリーの中に位置付けられるのではないか、という
ような仮説の成立をひしひしと感じさせられました。(磐井のほうが本流で、
継体のほうは傍流で、磐井の乱は継体の乱と呼ぶべきとの学説もあるそ
うです。)
これは不敬ですが、このことは天皇家のDNA鑑定によって容易に明ら
かにすることが可能なはずです。
なお、宮内庁所管の古墳の発掘は許可されないことを御存知の方も多
いと思いますが、宮内庁所管ではない岩戸山古墳の発掘も何故か許可
されないのだそうです。
謎の解明にとって本質的な情報が岩戸山古墳から予想されているから
なのではないか。発掘不許可の理由について説明員が説明不能であっ
たことからの私の更なる大胆な仮説です。