2002年10月2日

 映画「竜馬の妻とその夫と愛人」(原作・脚本三谷幸喜、監督市川準、
主演鈴木京香、中井貴一、木梨憲武、江口洋介)を観ました。
 観た映画はリストを作って記録しているのですが、「竜馬の妻と……」
の直前にリストに載っていたのが、NHK教育テレビ「世界名画劇場」で
放映された「荒馬と女」(脚本アーサー・ミラー、監督ジョン・ヒューストン、
主演マリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル、モンゴメリー・クリフト、196
1年アメリカ)。
 制作時期も遠く離れ、舞台設定も時代設定もまったく違うこの二つの
映画に大きな共通点があるのに気づきました。

 まず、男を魅きつけてやまない奔放な美女と彼女をめぐる3人の男と
いう人物構成。
 2人の男が争うならば「よくある話」になってしまうのですが、3人の男
に争われることによって、また彼女の性的奔放によって、彼女が普通の
女ではないこと、その「女神性」が示されます。
 そして、「女神性」の当然の帰結として、3人の男はいずれも彼女を獲
得するのに失敗し、彼女は去っていきます。

 鈴木京香(竜馬の妻おりょう)とマリリン・モンロー(流しのダンサー)は
いかなる理由で男たちを捨てて去っていくことになるのか?

 「荒馬と女」では、カウボーイ魂を失って現実妥協的な道(小金を得る
ために野生馬を捕まえてハム屋に売る。)を選ぶ男たちをマリリン・モン
ローは許さなかったのであり、「竜馬の妻と……」では、先夫坂本竜馬
とはあまりにも違う現実妥協的生活を送る男たちを鈴木京香もやはり
許さなかったのです。

 男の立場からすれば、男が男らしく生きられず、それゆえ「女神」を獲
得できないという状況、女の立場からすれば、女が男らしくない男たち
の中で生きていかなければならないという状況、二つの映画はこういう
現代の悲劇的状況を描いているのです。

 ちなみに、「荒馬と女」の原題は「The misfits」。社会に適合できない者
たちとも解釈できますが、男と女の間の不適合とも解釈できます。