2002年10月24日

 日本経済の回復策についての議論が盛んです。しかし、それらは政策
プロセスについての議論であり、「社会の破綻」というような事態が発生し
ないという意味において、その結果は大同小異であり、一般国民が口角
泡を飛ばして議論するレベルの問題ではないと考えています。(勿論、政
策当事者の方々には口角泡を飛ばす議論をしていただかなければなり
ませんが……。)

 それがいいことか悪いことかは別として、私の社会観察からすると、遠
からず日本国民は増税を許容し、賃下げを許容するでしょう。
 それまでの過程で、いくつかの政権交代が必要となるかもしれませんが、
それだけのことです。
 粗暴犯罪の増加、若干の騒乱(参加者の規模は千とか万の単位にはな
らない。)、自殺の増加(特に高齢者世帯、それは我々の世代です。)など
は避けられないでしょうが、多くの国民はそれを報道として知る程度にとど
まり、社会全体がそれに巻き込まれるようなことはないでしょう。

 このようなことがもっとはっきりと見えてくれば、日本経済は回復のコース
をたどり始めるでしょう。

 よく言えば日本社会の集団性という性格は健在なのであり、悪く言えば
大衆は社会を形成する独自の能力(代替案提案能力)を持たぬがゆえに
支配者に対して羊のごとく従順とならざるをえないのです。

( 増税、賃下げ、社会不安の増大にもかかわらず、経済が回復コースと
 は何ごとだという批判があるかもしれませんが、経済学では自然利子率、
 平均利潤率(いずれも同じような概念です。)が向上すれば、それこそ経
 済の回復なのです。)