2002年11月19日
名古屋刑務所の受刑者に対する刑務官集団暴行事件を特別な場所の
異常な出来事として捉えてはいけない、この事件は我々の所属する普通
の組織の危険性を示す象徴的事件として捉えるべきだ、と思います。
というのは、我々が所属している組織もまた、多かれ少なかれ閉鎖性を
有しており、組織固有の目的(一般には言うまでもなく営利目的が多い。)
を優先させて、集団暴行とまではいかなくても、非人道行為をなしてしまう
傾向をまぬかれていないからです。
ここのところ特に目立つ会社ぐるみの犯罪がそうですし、内部における
「いじめ」「過労死」の多発も同じ根から生じているものです。
組織固有目的優先、人道軽視という危険性から我々はいかに逃れるべ
きでしょうか。
勿論、組織トップの責任は重いものがあります。トップに立つべき者は非
人道的行為がなされないようにその組織を管理しなければならない立場に
あります。
しかし、組織トップこそ、その組織固有目的の遂行に一番プレッシャーを
感じている者であり、非人道的行為に至っても組織目的を貫徹しようとする
誘因を最も多く有する者です。
組織トップに責任を委ねる道は、極端に言えば「無い物ねだり」の道とも
考えられるのです。
結局、我々は、我々自身で危険性を除去しなければなりません。そのた
めにはどうするべきでしょうか。
1つの組織に我々が100%からめとられることを回避することです。
できれば、価値体系の異なる他の組織にも所属すること、あるいは価値
体系の異なる情報源とつながっていることです。
少なくとも、空いた時間を通俗的価値体系の世界(言うまでもなく、テレビ
や週刊誌がその代表です。)で使い切ってしまわないことです。
そのことによって、我々は組織固有目的を第三者的に評価できる目を持
つことができます。
事件を起こした刑務官たちも、家に帰れば普通のお父さんだったにちが
いありません。居酒屋では陽気に酒を飲む楽しいおじさんだったでしょう。
そのような人たちが組織に取り込まれると平気で残酷な事件を起こしてし
まう、この事件の恐ろしさは、ここにこそあるのです。
更に、国家という我々が所属する大組織が特定の単一目的に向かって
走ろうとした時、距離を置いてその国家目的を見ることができるかどうかと
いうのが、極めて大きな、難しい問題ですが、その問題がそろそろ我々の
前に再び迫ってきています。