2002年11月25日
うるさいのでニュース番組を消音で見ていたら、「心の病いに理解を」と
いう字幕スーパーが出ました。消音でしたので、どのような内容が語られ
ていたのかは分からないのですが、字幕スーパーの限りにおいてその発
想はよろしくないなと瞬間思いました。
1 その発想には、明らかに単純な2分法があります。
一方では心を病んでいて、その病いを理解してもらう立場の者がおり、
一方では健全な精神を持って、心を病んでいる者を理解する立場の者
がいるという2分法です。
この2分法は、まず事実として間違っているでしょう。
心を病んでいるということが定義可能かどうか問題ですが(このことは
次項で問題にします。)、ある意味では全ての者は心を病んでいるので
あり、違いは程度でしかないはずだからです。(精神医学はこの認識に
至っていると思います。)
にもかかわらず、2分法で発想するというところには、「自分は健全だ」
という自省不足の高慢があるといわねばなりません。
また、実際、このような発想は、病んでいる者に対してコンプレックスを
押し付け、気軽に心の病いの治療を受けることを妨げる効果をもたらす
と考えられます。
字幕スーパーは「心の病いに理解を」ではなく、「心の病いを同病相憐
れみましょう」であるべきだったのです。
2 心が病んでいるということの客観的定義はたぶん不可能でしょう。その
ことが完全に無視されています。
心の病いにおいて病んでいるという判断は「普通の社会生活を営めな
い」というあいまいな基準に求めるほかありません。
何が普通なのか、それこそ定義不可能であり、その時代、その社会に
おいて統計的に中間値に近いという相対的なことにすぎません。
そして、社会の受入れ態勢いかんによって普通の社会生活を営める可
能性は大いに変わってきます。
字幕スーパーの表現は、相対的概念でしかない「心の病い」を絶対的概
念であるかのようにミスリードするおそれがあると思われます。
( 正直なところ、殺人、傷害等の累犯に結びつく精神障害はどう取り扱わ
れるべきなのか、いわゆる「強制隔離・措置入院」と「ノーマライゼーション
(社会での自立、社会への参加)」の問題をどう考えるべきなのか、よく分
かりません。御意見、参考文献など御教示いただければ幸いです。)