2003年1月20日
現代日本文化に蔓延している「幼児化現象」が例年のとおり年末年始の
テレビ番組で爆発していました。
それを番組制作者の責任とするよりは、「幼児性」を求める一般視聴者
の強いニーズが背景にあったと考えるべきでしょう。
「幼児性」とは、与えられた喜怒哀楽を引き起こすステレオタイプの事象
に対して単純に喜怒哀楽で反応することを繰り返していることをいいます。
その繰り返しにおいては何らの責任は発生しません。
すなわち「幼児性」のニーズとは、責任の回避、言い換えればinnocentで
あることの希求なのです。
そもそもinnocentである幼児はinnocentであることを求めません。求める
ということは、その感覚がないから、あるいは確信が持てないからこそ生じ
るものです。
国際関係から身近な人間関係に至るまでの世の中に、不正、悪意、狡
猾、エゴイズム、逃避、無視がはびこり、それらからあまりにも多くの悲劇
が発生しています。
それらに直接に、あるいは間接に自分たちは関わっているのではないか。
それらに対して自分たちはinnocentではないのではないか。むしろはっきり
guiltyなのではないか。このような不安が……不幸にしてその不安は当たっ
ているでしょう……個人ごとに意識、無意識の程度に違いはありますが、社
会的心理になっています。
このような社会的不安心理が、「幼児化」がもたらせてくれるinnocentであ
ることの感覚による不安の解消あるいは不安の忘却を求めさせているので
す。
事実に目を背けたこのような社会的心理は、まさに事実に目を背けている
がゆえに、絶えずguiltyであるとの断罪の危機に脅かされています。
「幼児化」を更に深化させることによってこの危機を乗り越えるのか、大人
になって危機を乗り越えるのか、それによって文化の質、文化の格というも
のが決まってきます。