2003年3月10日
「べきである」こととして一般に扱われている「愛と性の一致」は、事実
としては破れているにもかかわらず、依然として人々の行動を強く規制
しているイデオロギーです。
そのようなイデオロギーが成立したのにはどのような背景があったの
でしょうか。
1つは、「性(=sex intercourse、以下同じ)」が出産と結びついており、
その後の育児を保証しうる相手を選択する必要があり、その際「愛」とい
う条件が一定程度有効であったこと、
2つは、「性」が相手に対する無防備状態をもたらすため、安全な相手
を選択する必要があり、その際「愛」という条件が有効であったこと、
3つは、「性」が相手に対し秘匿したい獣性をさらすことになるため、そ
れによる羞恥あるいは嫌悪を克服しうる相手を選択する必要があり、そ
の際「愛」という条件が有効であったこと、
4つは、「愛」の表現方法として、「性」が前3つのリスクを乗り越えたも
のとして他の表現方法に勝っていたこと、です。
さて、「愛」の究極的願望が「相手と一緒に居たい」「相手の愛を感じて
いたい」というところにあるとすると、「愛と性の一致」というイデオロギー
はかなりの程度において、却って「愛」の究極的願望の貫徹をむしろ妨げ
ているのが現実だと思われます。
「愛と性の一致」というイデオロギー成立の4つの背景と「愛と性の一致」
というイデオロギーが却って「愛」の究極的願望を妨げるという不合理との
せめぎ合いはこれからどうなっていくのでしょうか。
生物学的に不可避であった第1の背景はすでに成立しなくなっています。
第2から第4の背景は社会の成熟度ないし文化の問題です。