2003年3月13日

 もし、昨年(2002年)始められた日朝国交正常化交渉が順調に推移し、

日本の対北朝鮮警戒感がもっと穏やかなものであったならば、対米追従と

しか言いようのないイラク攻撃に対する日本の態度はずいぶん違ったもの

になっていたかもしれません。

 日朝正常化交渉の開始は、平和志向の自主的外交として広く国民に歓
迎され、社共両党までそれを支持し、小泉首相の支持率アップをもたらせ
ました。
 しかし、表面的には異論を唱えなかったものの日本の独走が不快でしか
なかったアメリカからの北朝鮮核開発疑惑情報によって、交渉は一挙に頓
挫させられてしまいました。
 その後は北朝鮮のいわゆる瀬戸際外交もあり、日本の北朝鮮恐怖は強
まるばかりで、アメリカの核の傘に対する依存心は高まり、それがブッシュ
冒険主義への日本の全面的支持へとつながってきています。
 日本外交の腰くだけに対し、北朝鮮のみならず世界各国から寄せられる
あざけりとアメリカ当局の「してやったり」のにんまり顔が目に見えるようで
す。

 かつて、特異なヘア・スタイルで有名な軍事評論家江畑謙介氏の対米自
主外交を主張する講演において、対米自主外交を展開する条件は何かと
質問したことがありました。
 「情報収集能力」というのが江畑氏の答えであり、それについて江畑氏は
きわめて悲観的であることを吐露し、対米自主外交の主張が「ないものね
だり」でしかないことを告白してしまいました。

 暗闇をアメリカに手をひかれて歩いていくような状態では、平和志向にし
ろ軍事志向にしろ、それはポーズとしか言いようがなく、外交と呼びうるよ
うなものではありません。