日本語の「分かる」という言葉は、似ていながら大いに異なる2つの
意味で使われます。
 1つは「分かる」という言葉が、「共感することができる」という意味で
使われる場合です。
もう1つは、「分かる」という言葉が「論理を追うことができる」という意
味で使われる場合です。
 
 この2つの意味のうちのどちらの意味で「分かる」という言葉が使わ
れているのか曖昧なために、しばしば非生産的な混乱が発生します。
特に「分からない」という否定形で使われる場合にそのことは顕著で
す。

 すなわち、「あなたのいうことは分からない」という場合に「あなたの
言うことは共感できない、やや強く言えば「あなたのいうことは気に入
らない」ということを意味する場合には、議論が不可能であることを宣
言しているにほとんど等しく、「分かり合う」状態に至ることが困難です。
 一方、「あなたのいうことは論理的に追うことができない」ということを
意味する場合には、相手側の論理に欠陥があるか、自分の論理を追
う能力が不十分なのか、いずれかの原因があるわけで、論理の欠陥
を補正したり、欠陥を知ることで主張を撤回したり、勉強して論理を理
解したりして原因を除去することができます。「分かり合う」道が開けて
います。

 日本人は不得意なようですが、「あなたの言うことは分からない」と言
われてしまった場合、「それは共感できないということですか?論理的
に追うことができないということですか?」と対応し、論理上の問題であ
る場合にはお互いに論理を点検することによって、双方にとって実りあ
る結果をもたらせることができるはずです。

 このような対応があるとすぐに感情的になってしまうところに日本人の
弱点、日本人の幼児性があるように思われます。
 実益に乏しいと思われる数学を学ぶのは、このような問題を克服する
ための意義ある訓練だと思うのですが……