2003年4月24日

 現代日本では、もはや知識人階層というようなものは存在しません。
今日ではまったく許されない表現ですが、これを「一億総白痴化」と名
づけたのは評論家大宅壮一でした。

 したがって、知識人階層の共有財産であった純文学と言われるもの
は、すでにその地盤を失っているとも考えられます。
 その結果、男性作家においては、かつてのような私小説を書く作家
はほとんど見当たらなくなっています。
 しかしながら、女性作家においては、あまり読んではいませんが、私
小説そのものを書いている作家が最近輩出しているように感じられま
す。

 思うに、かつて知識人階層が階層独自の問題意識を共有する集団
として、自分達の代表にその私的経験を小説化させたのと同じように、
若い女性達が他の人々と共有できない独自の問題意識を持つ集団と
して、その問題意識(主として異性問題のようです)につながる私的経
験を小説化してくれる女性作家の登場を要求しているからではないで
しょうか。

 このような中で生まれてくる小説は、作家の肉声、ギリギリの状況に
おける切実な叫び声の持つリアリティに支えられているホットな小説で
す。
 それに対するクールな立場からの反発が、水村美苗の「本格小説」
を生み出してくる必然も、これまた納得できるものです。

 なお、かつての私小説主流時代に漱石の弟子、野上弥生子が「秀吉
と利休」「迷路」などの「本格小説」を書いていたことが思い出され、いか
なることであったのか不思議に思われます。