2003年5月6日
保守の論客、西部邁(にしべすすむ)がその最新の著「獅子
たりえぬ超大国~なぜアメリカは脅迫的に世界覇権を求める
のか」で、イラク攻撃という国際法違反の暴挙を背景に舌鋒鋭
くアメリカ批判を展開しています。
その前文から引用すれば、「獅子の権威を有するどころか、
自分の主義主張を世界に押しつけ、そして世界から嫌われる
アメリカ。そんなものに盲従する愚から脱出するには、アメリカ
の本質を知らねばならない。また、日本人が歴史感覚を取り戻
し、伝統精神を再び我が物にするためには、アメリカの思想と
行動を見つめ直し、そこから訣別しなければならない。アメリカ
はヨーロッパとの歴史的繋がりを断ち切り、ひたすら個人の欲
望を謳って突き進んできた国なのだ。そこには歴史や伝統によ
って育まれた人類の英知に学ぶ姿勢もない。」といった具合で
す。
そして、本文においてアメリカの本質、アメリカの思想と行動と
して上げられる諸点は、現代文明批判として分かりやすく、網羅
的で、共感できるものであり、評価できるものです。
しかしながら、評価しつつ、同時に次のような問題点があること
を指摘せざるをえません。
すなわち、
① すべての批判点について、主語を「アメリカは」として論じて
いることです。
それはアメリカの多様性、複雑性を無視しており、アメリカ批
判として単純すぎます。
また、批判点は現代文明の問題点として世界各国に共通し
ている問題点であるにもかかわらず、それらをすべてアメリカ
に帰しているという意味でも単純です
② その結果、だめなアメリカと距離を保つために日本は自主
防衛、軍備強化を図るべしとの結論が導かれています。
そこには強大な軍事力をひとたび持った国は、アメリカのみ
ならずその軍事力を振り回す危険な存在になるという視点が
抜け落ちています。
全面的なアメリカ批判に対して日本無謬論がその論理の中
に仕込まれています。
西部はこの書において、自らが立つ保守の考え方とは「歴史の
連続こそが社会のベースでなければならない‥‥本当に社会の
ベースとなる歴史の英知とは、実は社会の慣習、個人の習慣の
中に内蔵されているはずの国民精神におけるバランス感覚であ
る。‥‥慣習や習慣それ自体が歴史の英知なのではなく、慣習
や習慣のなかに含まれている矛盾や葛藤の中でのバランス感覚
が大切であり、それが実は伝統であり、その伝統こそ歴史の英知
である。」としています。
しかし、この書における口を極めてアメリカをののしる論述の仕
方、単純な断定の連続は、バランス感覚に欠けるものであり、西
部の唱える保守の立場にはそぐわないもののとの印象を免れま
せん。