2003年5月13日

 仏教では、人間の苦しみのうち「生老病死」が他の様々な苦しみ
とは区別して、特別に「四苦」としてあげられています。

 このうち「生」とは、生きていることが苦であるということではなく、
誕生するに際して産道を通る時に受ける苦しさなのだそうです。こ

の苦を覚えている人はないと思いますが、これは皆さん経験済み

ですから、残る「老病死」がこれから直面する苦だということになり

ます。

この「四苦」については、いかなる人間も逃れられないがゆえに、
人間の悲しき運命、人間存在のはかなさ、虚しさを表わすものとい
う消極的理解が一般的なようです。

 しかし、「四苦」の特掲を積極的な意味にとらえることも可能なよ
うに思われます。

 すなわち、「世の中には様々な苦があるが、究極的な苦である『
四苦』を除けば、その他の苦は克服可能な苦である。」「『四苦』以
外の苦は迷妄であり、迷妄としてそこから解放されうる。」という理
解です。
 「本来苦ではないことを自ら苦として作り上げてしまっているので
はないか。」「こだわる必要のないことにこだわっているからこそ苦
なのではないか。」、「四苦」はこのようなメッセージだという理解で
す。

 われわれが日々直面している、欲望が実現しないことによる苦と
か、しかるべく遇されないことによる苦とか、人間関係のむずかしさ
の中で生じる苦などは、確かに「四苦」とはレベルの違う人間関係
の絡まり合いの中で生じる苦だと思われます。

 「愛別離苦」といわれるような苦は、そうはいっても克服がなかな
か困難だと思われますが‥‥。