2003年6月12日
宝くじを買ったり、万馬券を狙ったりするものの、大金持ちに
なることは事実上断念している、地元や職場で小さな役に就く
ことは求めるものの、マスコミに載るような大きな肩書きを持つ
ことはありえない、美人女優への憧れはあるものの、日々の生
活からして絶世の美女と結ばれる可能性は皆無である、勉強
も嫌いだし、頭を丸めて修行するようなタイプではないから、「
悟り」に抜ける道も閉ざされている。
このような中途半端な存在である自己に対して、自己肯定で
きず、自己否定的な気分に陥るタイプの人々が多いと思われ
ますが、その両極端には次のようなタイプの人々が存在してい
ます。
すなわち、貧困、身体的障害などの過酷な運命により社会
から冷たく取り扱われて、自己否定的にさせられてしまう人々、
あるいは許されないと思い込んでいる罪を犯してしまったとい
う意識により自己否定的になってしまう人々が一方の極であり、
もう一方の極は、世間的には恵まれた条件に置かれてきたの
だが、例えば「四苦」、すなわち「生老病死」の苦からはいかな
る方法をもってしても逃れられないことに気づいて、人生の虚し
さを感じ取り、それまでの自己肯定を放棄する人々です。
自己否定的になるいずれのルートにしろ、そこからただちに
徹底的な自己否定に至るわけではありません。
途中に様々な中間段階が用意されています。例えば家族へ
の貢献、国家社会への貢献、人類への貢献を信じることによ
る自己肯定や、自己否定を経ることなき信仰により宗教的権
威から与えられる自己肯定などです。
その中間段階にとどまって徹底的な自己否定に至らないうち
に生物学的否定(=死)を迎えてしまうのが一般的なようです。
鈴木大拙が理性や感性と並ぶものとして人間がもっている働
きとしてあげている「霊性」は、このような中間段階に留まること
なく徹底的な自己否定に至った上で、それを飛び越える境地に
達する働きのことを指しているように思われます。
インターネット心中ブームに対して子供のパソコンを覗き込む
というような小手先のお粗末な対策しか考えられないという背景
には、「霊性」の存在に考えが及ばないゆえの社会全般に広が
る強い自己否定恐怖があるものと思われます。
時代の不幸というものでしょう。