2003年6月23日
論理的思考について前回の続きです。
なぜ論理的思考というのは社会の生産性向上にそんなに強い
パワーがあるのでしょうか?
言うまでもなく、それはその情報の伝達力にあります。言い換
えれば、反論を許さず、納得せざるをえなくさせる力です。例え
ば、「三角形の内角の和は180度である」という証明をされれば、
好き嫌いや勘でそれを否定する余地はまったくありません。封建
的身分差や長幼の序や男女差に関係なく誰でもそれは正しいと
認めざるをえません。
論理的思考こそ近代社会の基盤であり、経済における通貨の
役割を果たしているのです。
しかし、パワーの源泉が伝達力にあるというところに論理的思
考の弱点があります。
すなわち、伝達力というのは相手がいればこそ発揮される力だ
からです。むずかしすぎて多数の人々がついてこられない場合、
論理的思考のパワーは半減します。例えば、「アインシュタインの
相対性原理」は、その道の専門家を尊重するという社会的慣習
があり、またそれに基づいてロケットが正しく宇宙を飛んでいくと
いう事実があるので、一般の人々も正しいのだろうと思っている
だけで、我々の仲間の一人が仲間内でそれをはじめて唱えたと
したら、「そんなことはないだろう」でおしまいで、伝達力は発揮で
きないでしょう。
また、自然科学の分野に比べてより複雑で、かつ数値化が困
難な人間社会の分野では、対象となる事柄が一回限りでしか発
生しないとも考えられるため、「あなたの言うことは論理的だとは
思うが、どうも賛成しがたい」と言われてしまうと、それでおしまい
です。受け入れ側に相手の論理を認めたくないという感情の反発
があったらそれでおしまいです。
したがって、いかに正しく、論理的であっても、特定の自然科学
の分野を除いて、その伝達力というパワーをフルに発揮するため
には、相手の受け入れ姿勢に配慮するという態度が論理的思考
にすぐれた人々にも必要ということになってきます。そのために相
手の非論理性をも受け入れるという度量が必要となる場合もあり
ます。
このように考えると、論理的思考が機能するためには人間関係
が重要ということになってきます。論理的思考重視の今の教育に
も反省すべきところが出てくるのではないかと思えます。