2003年7月29日
世界を一元化、画一化の方向に導いていこうとする動きを最近では
グローバリズムと呼んでいます。
言葉の単純な意味から言えば、社会主義・共産主義も世界制覇を
目指すグローバリズムであり、資本主義も世界を市場化しようとする
グローバリズムです。
しかし、東西対立の時代においては、いずれが勝利するか定かで
はないということもあったのでしょうが、いずれの主義に対してもグロ
ーバリズムという言葉は使われませんでした。
そして、社会主義が崩壊し、資本主義の一人勝ちの様相を呈し、資
本主義が地理的に拡大し、かつ社会内部に深化していくことになって
グローバリズムという言葉が使われるようになりました。
さて問題は、2つのグローバリズムに対抗して東西対立の時代に生
まれ、構造主義文化人類学というような名のもとで展開された文化相
対主義という思想です。
文化相対主義とは、世界は様々な人間が異なる地域に住み異なる
文化を持ち、それぞれ違った価値の世界に生きているという多様性
を尊重し、様々な文化には優劣はないとし、文化の多様性を擁護し
ていこうという思想です。
このような考え方は、資本主義、社会主義がそれぞれほころびを見
せる中で、そのほころびを補う意義を有するものであり、かつリベラル
な考え方であるとして、数多くの支持を集めてきました。
しかしながら、文化相対主義は、民主政治か専制政治かという問題、
ある経済発展段階、ある文化的基盤の社会において専制政治はどの
程度許容できるのかという問題についてはほとんど口を閉ざしており、
そのため現実政治における影響力はほとんど皆無だと思われます。
ブッシュのならず者国家論、プーチンの「チェチェンに文明的な政治
を根づかせる」というような発言に対して何も言っていないように思わ
れます。
もし、文化にとって最も基本的な、かつ現下の最も緊要な政治制度
の問題に対して明確な態度をとれないのであれば、文化相対主義と
は名ばかりで、文化の一元化、画一化を事実上かなり許容している
ことになります。
文化の多様性に対するノスタルジックな知的遊戯にとどまるもので
しかないということになってしまいます。
文化人類学者青木保の「多文化社会」(岩波新書)という本が出ま
した。
以上のような問題意識で、これからその本を読んでみようと思いま
す。