2003年12月25日
小学校6年生の時、学芸会での劇の主役の決定方法として、2人を
指名して稽古の期間中を通じて競わせ、最終的な優劣で主役を決定
するという方法が採られました。
その指名に当たった私は、もう1人の指名された友だちに対して、そ
れまで感じたことのない対抗心を持たざるを得ませんでした。
どちらが最終的に主役になるかという周囲の好奇の目を意識せざる
を得ませんでした。
私は競争する私を極めて卑しいものと感じ、自己否定的感情を持ち
ました。
この主役決定方法を採用した教師をとても「いやな奴」と思うようにな
りました。
この主役決定方法を教育的観点で合理化する論理はあるのでしょう
が、それが誤りであることを実感として持っています。
人間の精神には卑しいところがありますが、その卑しさを剥き出しに
せざるを得ない状況に人間を追い込むことは、人間に許されているこ
とではないのではないでしょうか。
また、競わせれば人間は名利を求めて闘うものだ、競わせなければ
人間は創意工夫、努力をしないものだ、という低劣な人間観がこの主
役決定方法の背景にあるのではないでしょうか。
幸い、インフルエンザの流行でその年に学芸会は行われませんでし
た。
(注) 学芸会において主役を設けるべきでないというような非現実的
平等主義を主張するものでは決してありません。