2004年2月2日

 巻末の紹介によれば、著者は1929年生まれ。74,5歳【当時】の

女性の古典文学研究者です。
 著者には誠に失礼ながら、そのおばあさんが、次のように書かれる
時、その最終行にただただ脱帽です。

「‥‥私が一様に感じるのは、彼等(注:平安末期から鎌倉初期に生
 きた歌人達)の言語生活の水準の高さである。それは「源氏物語」と
 いわず、彼等があやかっている先人文化の恩恵の厚みである。恩恵
 の多寡は、知識の多寡とは違う。もっと肉体的なものであり、先人と
 自分の、言葉による人間の探索と開発の質量に関っている。したが
 って恩恵に際限はない。この法則が生きるかぎり、詩情の交響も、余
 韻の豊かさも、人間による、人間への立ち入りの結果として鑑賞でき
 る。先人の言葉の仕事のないところに今日の私はない。先人の言葉
 の後押しで未知なる自分の探索と開発に向う明日の私も。」
                      (竹西寛子『贈答のうた』から)

 私たちは、「オレはオレは」「私は私は」と言い募り、結果「自分は誰に
も理解されない」などとすね込んでしまいます。ここには固定的な「自分」
というものがあるようです。
 それに対して、著者はこれから更に「未知なる自分の探索と開発に向
う」というのです。