2004年1月27日
「『 昔、紀の有常といふ人ありけり。三代の帝に仕うまつりて時に
あひけれど、後は世かはり時うつりにければ、世の常の人のごと
もあらず』
(口語訳)昔、紀の有常という人がいた。帝三代にお仕えして、時
を得た順調な暮らしぶりであったが、後には御代も変わり、時勢
も移り変わったので、人並みの暮しさえ難しくなった。
『 人柄は心うつくしく、あてはかなることを好みて、こと人にも似
ず。貧しく経ても、なほ昔よかりし時の心ながら、世の常のことも
知らず』
(口語訳)人柄は心が立派で品よく優雅なことを好み、世俗の人
とは違っている。貧しく暮していても相変わらず昔ながらの心を持
ち続けて、日常生活を器用に切り替えるでもなかった。」
(竹西寛子『贈答のうた』から)
「伊勢物語」の一節ですが、世代が進んでくると、周囲にこのよう
なことが散見されるようになってきます。
そして、世代が進んでいるがゆえに、そのようなことは「自己決定」
だとか「自己責任」だとかということに還元できることではなく、伊勢
物語が冷静に淡々と述べるように「‥‥時にあひけれど、後は世か
はり時うつりにければ‥‥」ということであるにすぎないという理解に
至ります。