2004年4月3日

一昨年末、「刑務所の中」という面白い映画(崔洋一監督、山崎努
主演)がありました。(確認していませんが、ビデオ化されているでし
ょう。)
 「あなたも刑務所に入りたくなります。」というのがキャッチフレーズ
で、実際は暗く厳しいであろう刑務所の生活が実に楽しく描かれてい
ます。

 芸術作品はそれが鑑賞されている時間においてのみ価値があるの
ではなく、我々の「のっぺらぼう」ともいえる日常生活を詩化(=poeti
cize)してくれる作用があるところにもうひとつの、そしてより重要な価
値があるのではないかと考えている時、この映画を思い出しました。

 芸術作品は、もちろん鑑賞されているその時にその存在価値があり
ます。言葉としては不十分ですが限時的エンターテイメントとしての価
値です。
 「刑務所の中」について言えば、この映画を観ている時、大いに笑
い、楽しむことができます。
 しかし、「刑務所の中」はそこにとどまらず、管理社会の極限ともいえ
る刑務所の生活の中にある詩趣、詩情(=poetry、この映画の場合
はコミカルな、そしてヒューマンな詩趣、詩情です。)を描くことによって、
程度の差こそあれ強度の管理社会といわざるを得ない我々の社会の
中に詩趣、詩情を見出す視点を我々に提供していると考えられます。
 日常茶飯の単純な行動の繰り返しを詩趣、詩情のあるものとして見
直すことができるようになります。
 大げさに言えば、それまで何物でもなかった世界の捉え直しができ
るようになります。
 その力は人々に対し長期に、深く機能するのであり、そこに限時的
エンターテイメントを超える価値があります。

 同様のことは、かつてフーゾク嬢の生活を描いた村上龍の小説「ト
パーズ」でも感じたことがありました。

 私の目の前には熊谷守一の描いたオオイヌノフグリの絵葉書があ
りますが、熊谷守一が詩趣、詩情を感じて日常から切り取ってくれた
雑草の花のおかげで、私の散歩の途中のオオイヌノフグリは私の散
歩に詩趣、詩情を大いに付け加えてくれることになります。

 考えてみれば、このような例はあらゆる芸術分野にわたり枚挙にい
とまありませんが、世界を詩化し、世界の捉え直しをさせてくれるよう
な作品と限時的エンターテイメントにとどまる作品との間には、大きな
価値の差があると思われます。