2004年5月19日
前回通信339(円谷幸吉の遺書)について「メッセージは何なのか?」
という極めて的を得た御指摘を受けました。
そもそもこの通信は、私のメッセージ発表を意図したものではなく、む
しろメッセージ性を回避しようとの気持ちだったのですが、スタート直後か
らそれに反する性格の強いものになってしまっていました。
そういう意味では前回の通信はその原点に返ったものであり、「この遺
書は凄い。その凄さを分析することはできないけれど、とにかく皆さ
んに知らせておきたい。」ということのほかには何もないものなのでした。
(私からのメッセージ性が比較的強い通信よりも、このようなお知ら
せのほうが読者の反響が大きいのは、私にとっては皮肉な事態です。)
したがって、ここでは、円谷幸吉の遺書を今頃思い出した経緯をお知ら
せすることによって御指摘に対する答に代えさせていただこうと思います。
ゴールデン・ウイーク中、仕事以外には何も予定なく、消極的選択として
読書をすることにしました。それにしても、読んで損したという読書ではゴ
ールデン・ウイークがあまりにも寂しすぎます。それで、これまた消極的選
択ですが、「はずれ」はないだろうという予測のもとで森鴎外を選びました。
そして、鴎外選択後にたまたま生家で1976年河出書房新社の黄色くなっ
た「文芸読本・森鴎外」を見つけることもありました。
さて、鴎外には、明治天皇死去に際しての乃木将軍夫妻殉死に当たり、
その数日後に書き上げたという「興津弥五右衛門の遺書」という作品があ
ります。また、鴎外本人の遺書は「‥‥余ハ石見人森林太郎トシテ死セン
ト欲ス‥‥墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス‥‥」という権威に対し
てはなはだ反抗的で有名な遺書です。
いずれをも読んだところで、ふと現実に目を向けてみると世間はアテネ・
オリンピックに出場決定云々での騒ぎがありました。
そのセットがあったので銅メダリスト円谷幸吉の遺書「美味しうございまし
た」を思い出した次第です。
再び「今回の通信のメッセージは何か?」と指摘されてしまったら、
意図するものはなく、ただ御指摘に誘われて書いたのですと答えるほかあ
りません。