2010年12月11日(出来たて)
いわゆるIT革命(情報技術革命)が「豊かさ」を実感させないのはなぜでしょうか?
人びとの生活を短時間のうちに大きく変えているという意味で、IT革命はものすごい革命です。
1960年代の高度経済成長における家庭電化、それはテレビ、電話、洗濯機、冷蔵庫などに象徴されますが、それに勝るとも劣らない規模の生活革命といっても決して過言ではないでしょう。
そして、この革命は家庭生活を大きく変えたのみならず、企業の省力化、コスト節減に極めて大きく寄与していることはまちがいありません。
しかしながら、高度経済成長期の家庭電化が「豊かさ」の進展を人びとに日々実感させていたのに対して、生活が大きく変わっているという実態はあるにもかかわらず、今回のIT革命は「豊かさ」の実感を伴いません。それはなぜなのかを考えてみました。
一つは経済的理由です。
すなわち、技術革新によって余剰労働力が生み出されますが、その余剰労働力が新たなる産業部門に吸収されて生産活動に活用されれば経済の成長となり、人びとの「豊かさ」の実感へとつながるはずです。
しかし、今回のIT革命においては、不幸にしてその余剰労働力を日本社会全体としては吸収できる経済環境にはありませんでした。
IT革命は個々の企業単位ではコスト削減により収益確保に貢献しましたが、国際競争力の低下という苦境におかれている日本社会全体としては余剰労働力はコストとしてそれを抱えなくてはならなかったのです。
それは農業において稲作労働の大幅な労働時間の削減が行われて労働生産性の飛躍的向上があったとしても、それによって生じた余剰労働時間が他作物生産に有効利用されなければ農家単位での所得向上にはつながらないという事情と類似関係にあるといえるでしょう。
それは抽象的にいえば、労働力の非流動性、労働賃金の非弾力性ということになります。
もう一つは技術の内容です。
家庭電化に象徴される技術は人力から機械力への転換という内容で、肉体的苦痛からの解放、余暇時間の大幅増加といった大きな生活実感の変化をもたらす技術でした。
一方、IT革命はまさに飛躍的な効率的情報処理を可能としたものですが、その結果は処理する情報が爆発的に増加し、もちろんそのこと自体に大きな意義があるものですが、新たなる苦痛、新たなる時間を要することになりました。
「豊かさ」の内容に安楽、安逸といった要素が含まれることを考えるとき、この技術の内容の違いは「豊かさ」の実感を得るにあたり大きな違いをもたらすものであったと考えられます。