2010年11月27日(出来たて)
日本の政治、経済、外交がうまく立ち行かないことについて日本の国全体に、各界各層を通じて、憤懣が満ち満ちてきている感じです。
うまく立ち行かない原因が人為的なものであるという認識によって、その憤懣はいっそう募っています。
いやむしろ、人為的原因という認識こそが憤懣を発生させているともいえるでしょう。
日本の不調に人為的要素がないとは言わないものの、人為的要素にウエイトをかけすぎて世の動きを理解しようとするのは、歴史をもっぱら人間ドラマとして描く大衆歴史小説の読みすぎというものでしょう。
言い換えれば、世の動きに対する社会科学的態度の不十分性ないし欠如というものです。
世の動きに対する悲憤慷慨は正義感を満足させてくれるとともに、社会勉強の意欲の維持、話題乏しき集団の活力向上、ほどほどであれば血の巡りをよくする健康効果等のメリットが考えられます。
しかし、個人レベルで言えば、強い他者批判真理は、心の豊かさ、魂の平安、真善美、芸術的感興、形而上世界への本人の志向、アプローチを低下、縮小する効果を持ってしまうのではないかと思われます。
また、社会的レベルで言えば、社会科学的態度に欠ける人為的要素へのこだわりは、政策決定に選択の幅を狭め、遠回りを強いることになり、場合によっては誤った政策決定を導くことになるのではないかと思われます。
視聴者の知的レベルを前提とせざるをえないマスコミは、世の中を人為的要素で説明しようとする大衆歴史小説的な報道をしがちなものです。
社会科学的素養を身に付けているはずの人たちまでが、それにまんまと載せられる姿を見るのは何とも寂しいことです。