2004年9月8日

 イスラム原理主義者によるロシア・北オセチア共和国における小
学校占拠・大量虐殺事件によってイスラム原理主義に対する恐怖、
警戒心が一層強まっています。
 先日、私は日本にはイスラム教信者が何人ぐらいいるのかと質
問を受けましたが、イスラム教信者一般をイスラム原理主義者と同
一視するのは、昭和初期の右翼テロリスト集団「血盟団」が日蓮宗
信徒だったことによって日蓮宗全体をテロリスト集団だと考えるのと
同様に大きな間違いです。

 一方、恐ろしいのはイスラム原理主義者のみならず、他の宗教や
民族運動に見られる原理主義的傾向一般であると考えておかなけ
ればなりません。

 原理主義的傾向というのは、人間社会は特定の変えることのでき
ない目的を持っており(宗教的原理主義においてはその目的が「神」
によって設定されているのが通常です。)、その目的の実現が社会
の至上の命題であり、すべてを(子供たちの命さえも)そのための手
段にすることをいとわないといった傾向のことです。
 既報459で報告したような、あたかも社会全体を野球の試合のご
とく単純化し、すべてをその観点からのみ評価するという傾向のこと
です。
 このような傾向がふつうでは考えられないような残酷を実行してし
まう結果をもたらせているのです。

 現実の諸宗教、諸政治活動は、人間の複雑さ、社会の複雑さと何
らかの妥協を図って存続しています。
 しかし、原理主義的傾向は、現実の人間、現実の社会に対して目
を閉ざし、その複雑さを認めようとしないのです。

 我々自身の内部にも、世の中を割り切って捉えたいという、単純化
を求める傾向はあり、自戒も必要と思われます。