2005年1月9日
人間は「無意味」「無価値」「虚無」「孤独」に耐えられない動物です。
おそらく、それは人類が群れをつくって生存する動物であることから
人間という動物の性格として生じたものでしょう。
かつての狩猟採集時代、農牧畜時代には、比較的小集団である共
同体の中で役割を分担し、その役割を果たすことによって、共同体の
メンバーからの評価を実感することができました。
その実感によって「無意味」「無価値」「虚無」「孤独」を自問自答する
ことを回避することができていたのではないかと思われます。
しかし、時代は進み、社会は複雑化して、そのような実感を得ること
が困難となりました。
共同体の中で自明であったことが自明ではない時代が到来してしま
ったのです。
そして、「存在の意味」「存在の価値」の自明性が失われたことへの
対応として、「存在の意味」「存在の価値」を人間の高度な思弁活動に
よって説明しようとする試みが宗教発生の背景の一つだと思われます。
そしてさらに、現代では科学の発展によって、宗教が提供してきた説
明の有効性が失われつつあります。
人間は再び耐えがたき「無意味」「無価値」「虚無」「孤独」の世界を余
儀なくされることになるのでしょうか?
そのような耐えがたき状態に陥る仲間同士のお互いの同情心、これ
が「無意味」「無価値」「虚無」「孤独」を180度プラスの方向に転換させ
る契機となるのではないか、というのが私の現在の推定です。