2005年2月20日
「つまんないことがたくさんあって、力がなくなるようなこととか、生きて
いてもしかたがないと思うようなことがたくさんある。TVを観ても、なに
をしててもいつでもたくさん目や耳に入ってくる。だから面白いことをた
くさんして、逃げ続けるんだ。逃げ続けるしかできない戦いなんだよ。
僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ。」
よしもとばななの最新短編集「なんくるない」の中の「なんくるない」の
一節です。
30代前半で、1年前に10年間にわたる結婚に終止符を打ち、鬱屈状
態にあった主人公の前に現われた、彼女を解放するであろう新しいボ
ーイフレンドが語るせりふです。
「トラ(ボーイフレンドの名)の言っていることで、乱暴だとか、つごうが
いいとか思うことはいくつもあっても、心が添っていかない言葉は一つ
もない。」と主人公は語り、そのような言葉としてよしもとばなながボー
イフレンドに語らせたせりふで、彼らの中で好ましいとされるものとして
このせりふは登場していると思われます。
しかし、このせりふは、この社会全体のいまの時代の精神的雰囲気
(=エートス)をみごとに捉えているのであって、このせりふのような思
いは、主人公の受けとめ、よしもとばななの意図に反して、育ち方、世
代、男女を問わずに、広く共有されていると思います。
違うのは、たくさんしようとする面白いことが何なのかということと、誰
にも渡さないで守ろうとする人生のその守られるべき内容であり、状況
とそれに対するスタンスとしては共通なのです。
すなわち、それは、「つまんないことがたくさんあって、力がなくなるよ
うなこととか、生きていてもしかたがないと思うようなことがたくさんある。
TVを観ても、なにをしててもたくさん目や耳に入ってくる」という世間一
般への非順応、「面白いことをたくさんして」「僕のちっぽけな人生を誰
にも渡さない」という素朴な自己信頼、そして「逃げ続けるんだ」「逃げ
続けるしかできない戦いなんだよ」という言葉に暗示される不安状態の
継続です。「戦い」という言葉を敢えて使いながらも、逃げ続ける戦いで
すから、そう勇ましいものではありません。
このような状態は、世間一般への非順応といっても徹底的なものでは
なく、素朴に信頼している自己にも世間一般が浸透してきていることを
否定しえず、それゆえ逃げても逃げ切れないのではないかという不安が
避けられないという連鎖なのだと考えられます。
そして、この連鎖から離脱するには、順応したくない世間一般という亡
霊はいったい何なのかを見定めることから始めざるをえないにもかかわ
らず、それを知ってしまう恐怖、実は自分自身が世間一般なのだという
ことを知ってしまう恐怖によって身動きできないというのが、この問題の
最も深刻なところだと思われます。