2010年10月4日(出来たて)

経済成長のために市場原理の貫徹が必要であり、その過程において生じる犠牲は経済成長というより大きな達成のためにはやむをえない社会的コストであるという考え方があります。

 そこには犠牲やむなしという短期的反ヒューマニズムと豊かな社会の実現という長期的ヒューマニズムが同居しています。

 そのような反ヒューマニズムとヒューマニズムの同居は、必ずしも自由主義市場経済の主張に特有のことではないということに気がつきました。


 将来によりよい状態が待っているという考え方を「ユートピア思想」と名づければ、あらゆるユートピア思想は反ヒューマニズムとヒューマニズムを同居させているようです。

 待っている将来のよりよい状態のために、ユートピア思想は現在の犠牲を人々に要求するからです。

 そして、待っている将来のよりよい状態が素晴らしければ素晴らしいほど、人々に要求する犠牲は大きくなり、それに対する抵抗は困難になる傾向があるように思えます。


 古今東西、数多くの人命を奪う等ユートピア思想は人々を不幸のどん底に突き落としてきました。

 人間がまさにヒューマニズムの対象たる尊敬されるべき存在であると同時に、何かを実現するための手段として利用される存在でもあるという人間の二面性のしからしむるところでしょう。

 これをやむをえざる人間の宿命と割り切れば、願うのは人間を手段化するユートピア思想が真にユートピアをもたらすものであってほしいということです。