2005年7月5日

 西部邁「友情~ある半チョッパリとの45年」(新潮社)を読み
ました。

 中学・高校と西部と同級で、その後やくざの道に入り、ヒロポ
ン中毒、刑務所暮らしを経て、50代で自殺した友人のことを書
いたものです。
 いや、むしろその友人との関係における西部自身のことを書
いたものと読むべきでしょう。

 そして、そもそも西部の執筆意図には、不遇の中で任侠道に
生きた友人を記録を残して讃えたいという表面的理由の裏で、
次のようなことを訴えたいということがあったという気がします。

1 西部の保守思想が決してブルジョアのお坊ちゃんの思想で
 はないこと。
2 想像を絶する貧困と厳しい差別の中で自滅の道をたどった
 友人の存在によって西部の思想は検証されているものである
 こと。
3 西部自身がその友人と同様にデラシネ(根無し草、流浪民:
 柳田國男の「常民」の対極に位置するもの)であり、保守思想
 こそその救済思想であること。

 しかしながら、西部の意図にかかわらず、西部の保守思想は
結局、お手軽に正義を振りかざしたい思想的怠惰な者たちに安
易な排外ナショナリズム、国粋主義、好戦思想の根拠を提供す
るものとなってしまっているのが実情です。

 そのようなことこそ西部が本来忌み嫌っているものではないか
と私は思います。
 西部の根本的矛盾がそこにあると私には思われます。
 
 同書における西部の次のような感懐はそこから来ているのでは
ないでしょうか。

「 しかし、私もすでに65歳となった。自分の死期を察する、もしく
は死期の眼をもって自分を眺める、そんなことは十分にやってしま
ったという年ごろになったということである。虚しいと承知しつつも
虚しくないものである「かのように」みなして取り組んできた自分の
言論活動も、ついにこの虚しきこと限りなき戦後日本の大衆社会
に吹き荒れる木枯らしめいた世論のなかでは、崩れ腐り吹き飛ば
されていく落ち葉の一片にすぎない、そうなのだとほぼ最終的に思
い定めるほかなくなった.」