2005年7月9日

 古代の筑紫磐井の乱(527)が大和朝廷に対する一地方
豪族の反乱とは捉えがたいものであること、日本の国全体
の正統な王権の決定をめぐる重大な戦いであったと考えら
れることについては、かつて指摘したことがありました。

 そして、その時には失念していたのですが、筑紫磐井の乱
の時の天皇は26代継体天皇(在位507~531)であり、こ
の継体天皇こそ出自に多くの疑問のある天皇なのでした。

 継体天皇は15代応神天皇5世の子孫として傍流から誕生
したとされて血統的に極めて不自然であり、しかも「越(福井
県)」から現われ、天皇となっても飛鳥には入らずに難波に
長く留まっていたのです。

 大和朝廷を中心とする考え方からは筑紫磐井の側が反乱
軍とされていますが、その相手はまさにこの出自のあやしい
継体天皇であり、継体天皇側がむしろ非正統の反乱軍だっ
たという仮説が考えられるのです。

 なお、現在の天皇家はこの継体天皇の血統につながって
います。

 また、継体天皇陵の石棺は阿蘇ピンク石(通称「馬門(まか
ど)石」)という石で造られています。
 この石は熊本宇土半島で産出されるもので、筑紫磐井の乱
が制圧され、継体天皇がこの地域を支配下に置いたことから
大和に持ってこられたものと推定されています。
 今夏、復元された古代船でその重さ数トンの石を熊本から
大阪に海上輸送するという実験が行われることになっていま
す。