2010年9月24日(出来たて)



小学校高学年の時2度、高校生の時1度、僕はデータ改ざんをしています。

 夏休みの自由研究といったたぐいでの実験、観察データの改ざんです。

 その具体的内容は言うのがはばかられます。

 そのうちの一つは、科学的にあり得ない内容で、知る人が知れば直ちにそのインチキに気づいたでしょう。

 もし、その時に気づかれて指摘されていたら、僕は立ち直れないぐらいの精神的ダメージを受けていたかもしれません。

 今でも学校の何処かにその時の資料が残っていやしないかと心配になるくらいです。


 ある仮説を立て、それを実験、観察で実証する計画ができると、それだけでうれしいものです。

 それだけで夏休みの宿題を一つこなしたという安堵感もあります。

 その計画どおりのデータが得られることを熱望してしまいます。

 仕事をうまく処理し、さばきたいという心理が、その作業の意味を離れて、強く働きます。


 前田特捜検事の犯罪ははるかにレベルの違うものですが、心理構造としてはまったく同一のものと思われます。


 このようなことを防ぐのは、その人間の誇りと良心しかないように思えます。
 特捜検事というのは本来誇り高き仕事のはずです。
 今回の犯罪では、前田特捜検事が、特捜検事としての本来の誇りの源泉を忘れ、目の前の仕事の処理にしか「誇り」を見いだせない(=仕事をさばくことの自己目的化)という、狭い了見に追い込まれていたということでしょう。
 考えてみれば、誰にでも起こることです。
 あらためて「人の振り見てわが振り直せ」。