2010年9月23日(出来たて)

 「私には夢がある。役所が企画した金太郎アメのような街ではなく、地域の特色にあった街で、お年寄りや子供や近所の人がきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と、大勢の人たちがそこに集まり、楽しむ、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。……そのような日本にしたい。」


 このような「夢」は、我々日本人が共通に抱いている夢でしょう。

 そして、現実の、経済合理性一辺倒の、厳しい競争経済社会によって、ますますそこから遠のいていかなければならなかった「夢」です。

 もし、社会としてこの「夢」の方向に舵を切り直すというのであれば、我々はこれまでの社会のあり方を根本的に反省し、多くのものを捨てる覚悟を持ってはじめて獲得する可能性がほの見える、そういうはかない「夢」です。


 この「夢」を自分の「夢」とし、みんなのノスタルジーに依拠して演説し、庶民性をアピールして、いささかの感動を与えたのが民主党臨時党大会代表選での小沢一郎でした。


 今週末で終わりを迎えるNHKの朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」が久しぶりに高視聴率を獲得しました。

 極貧生活から一流漫画家としての成功に至る水木しげる一家とその周辺の人々の心温まる物語でした。

 この物語の本質も、実は我々日本人が共通して抱いている「夢」であり、また現実社会の中で失わなければならなかった「夢」でした。


 2010年9月、我々日本人は、一方のノスタルジーに対しては朝のひととき静かな感動の涙を浮かべたのであり、一方のノスタルジーに対しては共感を持ちつつも、政治家にその「夢」の実現を期待することの非現実性を冷静に判断したのでした。