2005年7月25日

 郷里熊本をともにするある在野歴史家の言を借りれば、
「阿蘇山の無限のマグマのエネルギーを己の生の根源的
エネルギーとするかの如く、明治・大正・昭和の3代にわた
り日本国の有為転変とともに猛烈に疾走した巨人」という
ことになる言論家・歴史家徳富蘇峰(1863~1957。蘇
峰は阿蘇山のこと)の思想変遷を略述すると次のようにな
ります。

1 幼年時代における素養としての儒学。とりわけ維新の
 志士横井小楠系の行動重視の実学。

2 10代におけるキリスト教信仰(13歳で同志社大創始者
 新島襄により受洗。その後熱心な布教活動)

3 10代末期から20代を通じての自由民権思想(初期は
 軍備拡張を廃し、平和主義、平民主義を主張)

4 日清戦争からの国力増強、軍備拡張、挙国一致を内容
 とする国家主義(太平洋戦争期においては大日本文学報
 国会、大日本言論報国会の会長。敗戦によりA級戦犯の
 指名を受けたが病気により自宅拘禁処分)

 このような思想変遷は、その強弱、変遷のタイミング、思
想混在の有り様、実際の活動の程度によって様々なヴァリ
エーションはあるでしょうが、当時の多くの知識人がたどっ
た道であったと思われ、蘇峰がその典型をなしていると思
われます。
 そして、思想変遷の契機は、その時々の主敵の設定だっ
たと思われます。

 すなわち、幼年期の実学系儒学は本人の選択によるもの
では当然ありませんが、反徳川幕府思想だったものであり、
キリスト教は封建的道徳を、自由民権思想は薩長藩閥政治
を、国家主義は欧米帝国主義を主敵とすることによって現実
的な勢力を得た思想でした。

 そして、その時々に設定された主敵によって思想を変遷さ
せてきたこと、思想としての徹底を欠いたまま時代に流され
たこと、極言すれば思想以前に主敵があり、主敵の後に思
想がついてくるという道をたどったことが、蘇峰のみならず当
時の知識人たちの限界であり根本的弱点だったと言わねば
ならないでしょう。

 なお、日清戦争後の1896年蘇峰はトルストイを訪問し、ト
ルストイから「キリスト教と愛国心、人道と愛国心は両立しな
い。日本はなぜヨーロッパの真似をして軍備拡張をするのか
」と問われ、蘇峰は「人道と愛国心は両立する。日本は侵略
を図るものではない。日本は従来世界から屈辱を受け、また
不当な干渉を受けてきた。所見は全然異なる。」と答えている
そうです。