2005年7月26日

 人間には死んでも忘れないでほしいという願いがあります。
逆に忘れてほしいと願う人もいます。
 あのことは忘れないでほしいけれど、あのことは忘れてほし
いとか、あの人には忘れないでほしいけれど、あの人には忘
れてほしいとか、あの人の感謝は受け容れるけれど、あの人
の謝罪は絶対許せないとか、ひとりの心の中で自分の死と他
者の関係は複雑なのがふつうのところでしょう。
 そして、戦争という非日常空間で発生した死とそれをめぐる
人間関係には、残酷、無残で筆舌に尽くしがたい内容が絡み、
一層複雑なものがあったと考えられます。

 その複雑なところを一刀両断にして死を国との関係に単純
化し、あなたの死は国家のための死、名誉の戦死、散華だか
ら、国はあなたを忘れませんよというのが、靖国神社が国民
に発信していた実際のメッセージです。

 しかし、国はひとつの「機構」であり、国民はその「機構」の
指揮命令系統の末端と接点を持つにすぎず、太平洋戦争期
においてその指揮命令系統の末端で多くの国民が国に裏切
られていたのでした。
 その結果、戦後明らかになった事実をも含めて、指揮命令
系統の末端ではない国の最後の温情を靖国神社に感じたい
人々と靖国神社のメッセージに究極的な国の欺瞞を感じる人
々という分裂が発生したのでした。

 靖国神社が、実際には国民精神総動員という政策意図に
より官によって造られた、戦争の現実を隠蔽する役割を果た
す官僚的な「機関」であるにもかかわらず、一方で靖国神社
を強く支持する人々がおり、一方で靖国神社を非難する人々
がいるという現状はこのようなことから生じていると考えられ
ます。

 古山高麗雄の戦争文学3部作のうち「断作戦」「龍陵会戦」
を読み終えて湧いてきた感想です。
 これから3作目の「フーコン戦記」を読みます。(いずれも文
春文庫)

 言うまでもなく、靖国神社問題は外交の問題ではなく、国内
の問題です。