2005年8月24日


 ものを食べるのは、腹が減っているという生物学的自然に
よる場合、その時が来たので食べる、社交の機会として食べ
るという習慣による場合、目の前に食べ物があるので食べて
しまうという条件反射による場合などがあります。
 食欲の原因がこれらのうちのどれであるかによって、食生活
コントロールの可能性は大いに異なってくると思われます。

 さて、安岡章太郎の随筆集「観自在」に「視点の効果」という
一編があり、その中に次のような文章があります。

「 小林(秀雄)氏は、トルストイが『戦争と平和』を書いたとき、
その剛毅な心によって、戦争と平和は同じものだという恐ろし
いことを見透かしていたのではないかと述べたあと、《‥‥戦
は好戦派といふような人間が居るから起こるのではない。人
生がもともと戦だから起こるのである。反戦思想といふような
ものはもともと戦争にも平和にも関係がない。》と記し、この一
文(『戦争と平和』)を結んでいる。」

 小林秀雄は反戦思想を唱える人たちの人間理解の底の浅
さ、自己認識の甘さといったものを問題にしたのかもしれませ
ん。
 しかし、そのために持ち出された、人生がもともと戦だから
戦争は起こるのである、という戦争不可避の考え方について、
抗しがたきリアリティを感じつつも、放っておけないことと考え
ます。

 小林秀雄が「人生がもともと戦だから」と言うときの「人生」と
は、生物学的自然の人生なのでしょうか、習慣としての人生な
のでしょうか、条件反射的な人生なのでしょうか。

 その答え次第で戦争の不可避性についての議論は大いに
影響を受けます。