2005年8月26日


 人間はどこかに帰属していなければいられない存在です。
その帰属先こそ「自分は何者であるか?」というアイデンティ
ティの源だからです。
 どこに帰属するかによって自分の振る舞い方が決まってき
ます。アイデンティティ不確立状態での人間の行動選択は、
見ず知らずの集団の中にひとり紛れ込んでしまった場合のよ
うに、事実上困難です。

 帰属先とは、他者とのふたり関係、家庭、一族、営利又は
非営利の機能集団・組織、地域、国家、民族、人類、神仏の
世界等々です。

 幸運な人々は、その帰属先(=アイデンティティの源)のい
ずれかに帰属感を持って一生を送ります。
 ある人々は、帰属先を転々と変えながら、いずれかに帰属
するという期待感を失うことなく一生を送ります。この人々も
ある意味では幸運です。
 しかし、ある人々は、帰属先に裏切られる、帰属先から排
除される、帰属先が滅亡するというような直接的体験によっ
て、あるいは帰属先とはいったい何であるかについての歴史
的知識、論理的思考によって、帰属先など存在しないことを
知らされるという不幸に遭遇します。

 人間はどこかに帰属していなければいられない存在である
にもかかわらず、帰属先の不存在という根源的不幸から、そ
れらの人々は逃れられないのでしょうか?

 いえ、それらの人々が帰属することのできるグループがあ
ります。
 そのグループは、帰属先の不存在にもかかわらず帰属先
を切望し続ける人々というグループです。
 そのグループは、すなわち、帰属感の幸運から見放された
すべての人々ということです。
 このグループの存在によって人間の振る舞い方は最終的
に保証されています。
 人間のすべては、このグループに参加する予備軍という存
在です。