2005年11月27日 

 前回の「東洋思想」に関する通信の続きです。

 「還元」という言葉があります。御存知のとおり化学の言葉で、酸化物から酸素を取り去り、元の物質に戻ることです。

 この「還元」という言葉が西欧哲学の系統の分野でも使用されています。

 鉄が酸化されて「さび」となる如く、人間は後天的にその時代、その社会の影響を受けて「さび」の状態になっており、その「さび」の状態から本来の人間の状態に戻って、すべては見直されるべきであるという考え方です。

 このような還元された状態の人間を机上に仮定すること、頭の中の操作でそのような状態の人間を仮構すること、その上で理論展開を図ろうとするのがその試みのようです。

 一方、還元された状態の人間に、仮定的にではなく現実になってしまうことを理想とし、そのための方法(=いわゆる修行)を確立しようとするのが「東洋思想」の試みのようです。

(残念ながら、西欧哲学、「東洋思想」それぞれの試みが成功しているのかどうか、ましてどちらの試みが適切なものであるのかどうかは、私にはまったくわかりません。)

 禅問答とか公案とかいわれるものは、内容はちんぷんかんぷんながら、修行の結果、人間から「さび」が十分に取り去られているかどうかのテストのようなものであり、あるいは高度な境地に至った二人の人のどちらがより完全に「さび」が取り去られているのかのコンテストの話のように感じています。