2006年9月5日
昨日(9月4日)NHKTV「プレミアム10」という番組で「渥美清の肖像~知られざる役者人生」が放映されました。(私はこれをビデオ収録して5日に見ました。)
単純な渥美清賛美作品ではなく、ある昭和史ともいえる立派な作品でしたが、本稿はこの作品について書くのが目的ではありません。
この作品の中で渥美清が主演した1963年の松竹映画「拝啓天皇陛下様」(野村芳太郎監督)が出てきました。この映画を思い出し、その反戦思想の表現の特異性を報告したいと思ったのです。
主人公(渥美清)は東北の農村出身で字も書けない無学な男です。彼は三食の心配のない軍隊、自分をひとりの兵隊として扱ってくれる軍隊をこの上ない幸福なところと感じ、そのような生活をもたらしてくれた天皇を敬愛し、軍務に精励するのです。(一般社会の貧困と差別が帝国軍隊成立の基礎となっていたわけです。)映画では残酷シーンは出てきませんが、軍務精励の内容には当然侵略先での非人間的な活動が含まれていたはずです。
大衆を戦争の被害者として描くのが普通の反戦作品です。しかし、この映画は当時の大衆が戦争を嫌悪し忌避していたというのがすべてではなく、むしろ賛美し熱狂していたという側面があったという事実を我々に突きつけるのです。
そして、そこにこそ、普通の無垢な庶民(それは我々の通常の自己認識です。)を、残酷な狂気の殺人者や殺人賛美者に化してしまう戦争の恐ろしさがあることを訴えるのです。自分が、現在嫌悪しているような姿の人間(ケダモノのような人間)に、反省意識が生じることもなく、なってしまうこと、これこそ戦争というものがもたらすものだということを訴えるのです。
「命を大切にしなければならない。」「血を見るのは恐ろしい」「人々の愛が戦争によって引き裂かれるのは悲しい」といったレベルの反戦意識が大義名分を強調し敵愾心を煽る宣伝の前に脆弱この上ないのに対し、そのレベルを超える反戦思想の必要性をこの映画は訴えていました。