2010年7月6日(出来たて)
(老子の続きの前にホットな話題です)
朝青龍問題のとき、大相撲の取り巻きのPTA体質がいやになって、子どもの時から長くなじんできた大相撲への決別を宣言しています。
したがって、今回の野球賭博問題の処理に関して相撲界に対して意見を言う気はありません。
しかし、大相撲の問題としてではなく、広く大衆のいじめ体質の問題として、意見を言わないではいられない気持ちです。
議論となることが予想されますので、議論が整理できるように、まず「いじめ」を定義しておきましょう。
次のような要素が揃っている加害行為を「いじめ」とすることにします。
1 組みし易い相手の選択
2 享楽性
3 非当事者の責任なき立場からの関与
4 懲罰要求の過大
5 受罰以上の態度・振る舞いの要求
「1 組みし易い相手の選択」について
明らかな刑法犯罪であり、相撲界側に弁明の余地はありません。
人気商売であり、大きな権益があり、これを失わないために居直り的態度は許されません。
言いにくいことながら、明らかに世間知らずの非知的体質の業界です。
このような、いかにも攻めやすい体質(バルネラビリティ)が大衆の攻撃心を刺激しています。
「2 享楽性」について
正義、道徳、遵法といった観点から批判されていますが、その点から真の義憤を持って問題に関与している人は例外的です。
人々が少しずつは関わっている賭博という身近な話題性が好まれて、この問題は取り扱われています。
営利に敏感なマスコミはここを捉えて報道を重ねています。
「3 非当事者からの責任なき立場からの関与」について
国技とされている以上、国民すべてが意見を言う権利があるともいえますが、大相撲という伝統の維持、発展に本気の人が果たしてどれだけいるでしょうか。
常日頃、大相撲にほとんど関心のない人々が突然道徳家になったり、伝統維持論者になったりしています。
そして、言うまでもなく、いくら過激な発言、態度をとっても非当事者に責任は発生してきません。
「4 懲罰要求の過大」について
犯罪は犯罪です。しかし、仲間内の賭博、暴力団関与の賭博、暴力団関与の認識の有無、暴力団の仲間としての受益といった内容によって受ける罰の世間相場は大いに違うはずです。
その世間相場からして、決定された処分は明らかに重いものです。しかし、要求する側は、あたかも厳罰ほど正義のような感覚で、更に厳しい懲罰を要求しています。
琴光喜の場合、当初の事情聴取において正直に告白しなかったために解雇という重罰になったと言われています。本当のところは分かりませんが、一般に任意の事情聴取段階で犯罪事実を否定したからといって罪が重くなるというのは聞いたことがありません。
「5 受罰以上の態度・振る舞いの要求」について
反省しているなら、もっと態度で示せ、謹慎するなら、もっと謹慎らしくしろ、といった要求です。
罪を認め、指導・管理不足を認めた側としては、要求を値切るような態度は取れません。その弱みに付け込んだ要求です。
規定された罰を受ければ、それで一応は「よし」とするのが、犯罪者に対する近代的な関係というものでしょう。
以上の分析で、今回の野球賭博問題には大衆の大相撲に対する「いじめ」があることが明らかとなったと思います。
「いじめ」は執拗で、陰湿なものであり、人が自ら自分をおとしめてしまうという克服すべき人間の負の側面です。
子どもの「いじめ」を問題にする前に大人の「いじめ」体質こそをまず問題とする必要があるでしょう。