2010年7月4日(出来たて)

 「老子」は前回報告のとおり統治技術、支配技術の書であり、そう考えて読むとかなり「鼻白む」ものなのですが、現代社会へのアンチ・テーゼとしてかなり面白い内容を持っています。
 おそらく、「老子」の宇宙観、自然観に基づくものと思われます。
 統治者、支配者といった社会的立場に関わらず、正しい客観的認識は正しい判断を呼ぶということなのでしょう。

 「老子」の宇宙観、自然観は、「空」や「虚」が宇宙、自然の基本であり、万物を生じさせているのは「空」であり「虚」であるという考え方です。

 「天と地のあいだは、ふいごのようなものであろうか。空っぽだが尽き果てることなく、動けば動くほど、ますます万物が生まれてくる。」(第5章。引用は岩波文庫から)
 「30本の輻(や:車のスポーク)がひとつの轂(こしき:車軸を通す車輪の中心)を共にする。その空虚なところにこそ、車としての働きがある。埴(ねんど)をこねて器をつくる。その空虚なところにこそ、器としての働きがある。戸や窓をうがって部屋をつくる。その空虚なところにこそ、部屋としての働きがある。だから、形有るものが便利に使われるのは、空虚なところがその働きをするからだ。」(第11章)
 このような考えは、「玄牝之門」(げんぴんのもん:女性性器そのもの)への尊崇にまで至ります。(第6章)

 このような「空」「虚」によって定まってくる宇宙法則が「道」と呼ばれます。
 剣道、柔道、華道という類の「道」をいうものでなく、人の生き方というような意味ではありません。
 「道」は自然科学的な言葉です。

 空間が万物を生むという考え方は、最新宇宙科学が明らかにしている「ビッグ・バン理論」に通じるものといえるでしょう。
 「ビッグ・バン」理論は、すべての物質的現象は135~139億年前に発生した高温高圧のエネルギーの極小点の爆発的膨張によって拡大していく過程において生じている現象であることを明らかにしているのであり、万物は空間の断熱膨張による冷却によってこそ生じているのです。

 さて、「老子」の「空・虚」を基本とする宇宙観は人間に何を呼ぶことになるのか?次回に続きます。