2006年11月6日
船橋洋一著「ザ・ペニンシュラ・クエスチョン~朝鮮半島第二次核危機」(朝日新聞社・10月30日第1刷発行)を読み終えました。終章における「北朝鮮の核危機は、北朝鮮が世界の潮流から取り残され、時代の理念から取り残され、歴史から取り残された深いアイデンティティ危機と体制の危機を内在させている。」という文章によって、極めて唐突ながら60年代末の連続ピストル射殺魔永山則夫を思い出しました。(金正日を永山になぞらえているのではなく、北朝鮮という国を永山になぞらえてのことです。)
永山は家庭の極度の貧困から世間の道をはずれ~本来能力ある若者であった永山にとってもの凄いアイデンティティ危機にあったのだと想像されます~19才の時に連続ピストル強盗によって4人を殺し、1997年に絞首刑に処せられました。刑務所生活で接触した左翼学生運動家から社会主義文献を教えられて独学し、自分の境遇を客観視するに至って「無知の涙」という作品を著し、その後処刑されるまでの間にいくつもの作品を残したのでした~刑務所に入って永山はアイデンティティを回復することができたのだろうと思います。(私は永山作品を読んでいません。)
一時は自分たちの社会発展の実力によって南朝鮮をしのぎ、朝鮮半島の統一を果たすという夢を現実に描いていた北朝鮮は、経済的破局を招き、韓国の経済発展に大きく遅れをとり、かつ世界の激変を了解することができず、国家としてまったくアイデンティティ喪失状態に追い込まれていると思われます。
同書によれば、金大中元韓国大統領は平壌を列車訪問し金正日に会うという構想を持っており、実現はしませんでしたが、次のように心に決めていたそうです。
(会談では、国際社会のルールやエチケットを守り、国際社会の中でともに生きていく以外ないのだということを伝えたい。嫌がられようと、それを言うのは自分しかない)(もはや、北朝鮮をかまってくれる国は中国だけとなった。その力のあるのも中国だけだ。仕方なく北朝鮮は中国に抱かれていく。ただ、それは北朝鮮の望むところではないはずだ。一体、中国との関係をどうするつもりなのか)
このような真摯な同胞の存在とそれに耳を傾ける北朝鮮側の姿勢が「朝鮮半島の課題」(ザ・ペニンシュラ・クエスチョン)を解決に導くものであったはずですが、北朝鮮の核実験の強行により、もはやその条件の成立の余地は失われてしまった(さらに多くの無垢の命が歴史の犠牲に供されることが必至となってしまった)と考えられます。