2006年11月18日

 いじめ自殺の事件が起きると「いのちの大切なことをこどもたちによく教えたい。」などということが先生たちや教育委員会から安易に表明されます。

 しかし、果たしていのちは大切なものなのでしょうか?こどもたちから「いのちはなぜ大切なのか?」と聞かれた場合、答えられるのでしょうか?先生たちはいのちが大切であると心の底から信じているのでしょうか?先生たちは根拠の乏しい世間の常識に安易に依拠しているだけなのではないでしょうか?

 いじめによる自殺を防いでいくためには、むしろいのちが大切なものであるとはいえないという厳しい現実を踏まえて議論を展開していく必要があると思います。

 大切でないいのちをかけがえのないものとして思わないではいられないというのが人間存在です。いのちの無価値という現実に耐えられず、わらにもすがる切実な思いで日々を生きているというのが人間存在です。この人間存在の悲しい現実こそが人間の連帯感の基礎のはずであり、この連帯感の基礎があってこそ、いじめる側といじめられる側も対等の立場に立つのであり、そこではじめていじめがなくなり、自殺がなくなる社会が期待されるのだと思います。