2007年1月3日
所得格差は拡大しているのか、所得格差の拡大は好ましいことなのか、所得格差の拡大が事実だとすればそれはいかなる政策の結果なのか、これらの問題について報告したいと思います。
第1 所得格差は拡大しているのか
ここ約20年の間における所得格差の拡大が指摘されたとき、その事実を否定する説が出されました。その説は所得格差の拡大は高齢化の進行による見かけの現象であるというものでした。すなわち、高齢者は有業者と無業者に極端に分かれるため所得格差が大きく、このため社会の高齢化が進むと社会全体の所得格差は拡大する、我が国における所得格差の拡大はこの高齢化の進行によるのであって実質的な所得格差の拡大があるわけではない、という説です。
高齢化の進行が所得格差の拡大現象をもたらすことは事実ですが、我が国の所得格差の拡大は高齢化の進行によって説明できる程度を超えていることが明らかとなり、所得格差拡大否定説は成立しないことは明確になっています。(参考:伊東光晴「日本経済を問う」(岩波書店)第4章「失われた20年の帰結」)
第2 所得格差の拡大は好ましいことなのか
世の中には努力する人としない人がいる、努力する人が報われる社会であれば、努力を促進することになり、努力しても努力しなくても大差ない社会であれば努力を妨げることになる、成長社会をめざすには所得格差はあってしかるべきであり、悪平等は社会の成長を妨げる、というのが所得格差是認論です。
これは方法論的個人主義といわれるものであって、予想される個人の行動を集積すれば社会の現象となるという考え方です。今回の場合は、個人レベルであり得る「もうからないのだったら働かないよ」という行動を社会全体に適用しようとするものです。
一般的に方法論的個人主義は個人の行動原理を単純化するためにしばしば誤っており、所得格差是認論が採用した方法論的個人主義についても社会レベルにおける事実としてはまったく立証されていません。所得格差是認論は観念論にとどまっています。
第3 所得格差拡大はいかなる政策の結果なのか
同義反復になりますが、所得格差拡大は所得格差拡大政策の結果であり、別言すれば所得再分配政策の後退の結果です。
単純化していえば、所得再分配政策は、資本主義国家における社会主義への体制変換恐怖を背景にした政策でした。しかしソ連邦の崩壊、中国の市場主義化、国内社会主義政党の体制内化等によって体制変換恐怖は雲散霧消しました。もはや所得格差拡大を放置することに体制的危機意識はなく、そもそも非市場主義的である所得再分配政策を市場主義促進の立場の政府(先頭を切ったのは中曽根、サッチャー、レーガンの各政権)が採用するインセンティブは喪失してしまったのです。(反ケインズ主義がその非科学性にもかかわらず隆盛となった背景と同じ。参考:伊東光晴「現代に生きるケインズ」(岩波新書))
かくして、市場で「努力した人」と評価された人の所得と市場で「努力しない人」と評価された人の所得の格差は拡大していくことになりますが、「努力した人」=高所得の人という、所得を得るに至った諸条件を無視した単純ルールが反社会的大問題をはらんでいることは言うまでもありません。