安岡章太郎「カーライルの家」所収の「危うい記憶」は次のような文章で終わっています。
「 今、私は、あらためて小林さんと一緒に行ったあのソヴィエト旅行を思い出している。
小林さんは、模範的優等生ばかりを集めたピオネール・キャンプの子供達に対しても、私のように『偽善的だ』とイライラしてガイドに喰ってかかったりせず、『いや、皆いい子たちばかりだよ』とニコニコしておられた。しかし無論本心では十二分に、何もかもわかっていたのだ‥‥満蒙開拓青少年義勇隊も、ピオネールも、ヒットラー・ユーゲントも、『未来の夢を満載した』環境に置かれた少年たちの運命は、あのペーチカ事件に象徴されるものであることが。」
「小林さん」は小林秀雄のこと、「ピオネール」とはソヴィエトの共産主義少年団のことで、「ペーチカ事件」とは小林秀雄が満州で遭遇した、満蒙開拓青少年義勇隊の少年がペーチカが燃えないのに苛立ち、ガソリンを掛けようとして、抱えた缶に引火し、焼死したという事件で、小林秀雄はこの事件を単なる事件とは理解せず、満蒙開拓青少年義勇隊というものの表向きの勇ましさとは違う、暗い悲惨な実態を象徴する事件ととらえたのでした。
そして、私は、当初は小林秀雄の長谷川泰子という女性との関係を書いたものかとも思い、志賀直哉との交流を書いたものかとも思ってこの本を読んでいたのですが、最後の文章で安岡章太郎はこの「危うい記憶」の全体で、「『未来の夢を満載した』環境に置かれた少年たちの運命」のみならず、小林秀雄がニコニコしながら本心では十二分に何もかもすべてのことについてわかっていたということを安岡章太郎流で立証しようとしているのだと感じとりました。
そして更に、その立証の意欲は、安岡章太郎自身がニコニコしながらも、この社会がやってしまっていること、すなわち安岡自身を含めた我々ひとりひとりがその責任を分有している世の中のひとつひとつのことに対して、どうしようもない、もの凄い、やりきれなさを持っていることをわかってもらいたいという気持ちから来ているものだと感じました。
そしてそれは、一部の例外の人々を除いて我々自身も持っている気持ちなのではないかと思われます。
なお、「危うい記憶」には小林秀雄が一時期居候していた奈良・高畑の志賀直哉の家が紹介されています。現在志賀直哉の旧宅記念博物館となっているその家を他の観光客がまったくいない冷たい雨の夕方に訪れたことがあり、この本にこの家が紹介されていたことはこれまでの話とは別のこととして、とてもうれしいことでした。