2007年5月2日

 憲法改正に関する国民投票法案の成立も間近となり、憲法改正に対する態度決定を迫られる時期が刻々と近づいてきています。改正点として何点か上げられているものの、言うまでもなく改憲論者のターゲットは戦争放棄の憲法9条です。

 この憲法9条の問題について文芸評論家の加藤典洋氏が「論座6月号」に「戦後から遠く離れて~私の憲法『選び直し』の論」という文章を発表しています。「憲法9条に関する立場は、おおすじのところ、内田樹氏の『9条どうでしょう』(毎日新聞社)における主張を踏襲するものとなっている」と加藤氏は述べており、本通信は孫引きのようになってしまっているかもしれませんが、そこで紹介されている憲法9条に関する立場は憲法9条に対する新たな態度のとり方を提起するものであり、かつまた国民一般が自然にもっている戦争・平和に関する思いに沿った考え方として極めて有意義なものと評価できるものです。以下、簡単に御紹介しておきましょう。

 憲法9条に示されている平和の「理念」と自衛隊、在日米軍、日米安保条約という「現実」との落差にどう対応するかについては3つの選択肢がある、と加藤氏は指摘しています。

 すなわち、1つは「現実」を「理念」に合わせるという対応、すなわち、憲法9条を維持し、自衛隊の武装解除、在日米軍の撤収、日米同盟の見直しを行うという対応です。

 もう1つは「現実」に「理念」を合わせるという対応、すなわち、自衛隊の存在を憲法上明確に規定するとともに集団的自衛権の行使も認めて日米同盟のより実質的な強化を可能とするように憲法を改正するという対応です。

 そして最後の対応は「理念と現実の落差」をそのまま持ち越す、現状維持という対応で、加藤氏はこの対応こそめざすべき対応であると主張しています。すなわち、「他国が攻めてきたら怖い、でも、他国を攻めるのもいやだ。憲法9条は、自衛隊の存在と『あわせ技』でこういうふつうの人の不安と願いに応えてきた。これにもっともよく応えるのが、憲法9条を動かさない、変えない、しかもなかば灰色の状態で『自衛隊』を持ち続ける、そうしながら、この先を考えていく、つまり矛盾を矛盾としてもちこたえ、現実的に思考し、『ねじれ』を生きる道なのである。筆者(加藤氏)は、もし、改憲の是非を問われたら、現状維持の第3のオプションに立ち、憲法の選び直しを、主張したいとおもう。」「一方にやや空文化した『憲法9条』があり、他方に日米同盟と自衛隊がある、この相すくみの欺瞞的な『ねじれ』状態のままが、現在の日本国民の大半の人々の不安と願いにもっともよく応える道であることを示すことが、いわば現時点で、憲法9条に対するもっとも正しい対し方であり‥‥」

 加藤氏は、この第3のオプションについて「無論、そのために犠牲にしなければならないことは多い。法の感覚、信義の感覚、正義の感覚の頽落などは、その中でもっとも損傷を受けてきたものである。」と、はらまれている問題を十分に自覚しつつ、この対応を主張しています。

 青年の有する潔癖感、純粋への情熱は加藤氏の上げるような頽落を許容しにくいものだと思われますが、国家統治行為というものは青年の潔癖感、純粋への情熱にゆだねきりがたい、したたかな大人の判断を必要とするもののはずであり、憲法という国家統治の頂点にあるものの選択に当たり、国民一般が大人の判断をするというのは、あってしかるべきことだと思われます。