2007年5月3日

 かつて四国某県を旅行中、地元の人から聞きました。その村出身の少年がある有名野球高校のレギュラーになれないのは、両親が監督に対する働きかけに熱心でないからだ、というのです。要するに、監督への付け届け、賄賂によってレギュラーになれるかどうかが決まるということです。「よほど傑出していないかぎり、ドングリの背比べですからね。」と応じておきましたが、びっくりしました。この話が真実かどうかはわかりません。ただ、野球専門高校の世界はもはやそのような金権体質に染まっていると認識されていたということです。

 それに比べて、選手に対する入学金、授業料の免除は認めないという高野連(日本高校野球連盟)の最近の事態に対するかたくなな態度をいったいどのように考えたらいいのでしょう?「文武両道」「健全な精神は健全な肉体に宿る」「学問とスポーツの両立」等々のイデオロギーがスポーツ界にはあります。そして、そのイデオロギーが現実に生きている層はあります。しかし、それは決してトップの層ではありません。いまやトップ・アスリートの世界はビジネスの世界です。堀江、三木谷、村上というルートと並列してスポーツ成金のルートがあるのです。ビジネスとなっているトップ層で古いイデオロギーが有効であるはずはありません。こどもの人生、家族の生活を賭けたハイリスク・ハイリターンの投機の世界なのです。ハイリスクの中でコストを少しでも少なくという力学が働く世界です。

 誰でも感づいているこのような事実を高野連の幹部は何故認識していないのでしょうか?認識がないはずはありません。スポーツ界のビジネス化を認識しつつ、古いイデオロギーに固執しているのです。

 その原因として2つのことが考えられます。

 1つは、高野連幹部は功成り名を遂げた人々ですが、その成功はスポーツ選手としてのハイリスク・ハイリターンの投機の結果ではありません。古いイデオロギーが有効な、旧制高校的体質の層の人であり、選手レベルとしてはトップの層ではない人たちです。彼らにとっては古いイデオロギーは引き続き美しく輝いているのです。

 もう1つの原因は、青春、友情、無償の努力といったものを高校野球のセールス・ポイントにしているからです。古いイデオロギーはそのようなセールス・ポイントと適合的です。セールス・ポイントとハイリスク・ハイリターン投機とは不適合です。このセールス・ポイントにマスメディアはすべてを知りつつ乗っています。高野連とマスメディアの醜い野合です。古いイデオロギーはもはや古いと知りつつ、セールスのために利用しているのです。

 今回の事態は、高野連幹部がこのようなイデオロギーの限界性を忘れて学生野球憲章という空文にこだわってしまったという惨めったらしく、不健全な話です。