2007年6月3日
省エネ目的で「室温は28度に設定しましょう」などといわれます。シンガポールで聞いた話ですが、シンガポールでも室温の設定目標が示されているのだそうです。何度だか忘れてしまいました。ただ、その室温目標設定の目的が知的生産性を上げるためだと聞いて少々驚きました。シンガポールは、ほぼ赤道直下、年平均気温が25度を超え、1日の最高気温がほぼ常時30度を超えています。そのシンガポールが、世界資本主義の中で国際流通センター、国際金融センターとして生きていこうとしているのです。暑くて仕事をやっていられない、などということは許されないのです。この話をしていると、香港では室温設定目標がシンガポールより低い、室内は寒くて困るなどということを言う人が出てきました。香港もまたシンガポール同様、世界資本主義の中で知的生産性が高いことをもってその競争力の源泉としようという戦略をもった地域ということができるでしょう。
さて、本稿の課題は知的生産性を上げるための適温が何度であるかということではもちろんありません。本稿で問題にしたいのは、知的生産性という場合に想定されている知的活動とは何か、ということです。知的生産性という場合に人間の持っている知的活動能力のすべてを網羅しているのだろうか、ということです。
明らかに、知的生産性という場合、世界資本主義の中で産業を成立させていくために必要な知的活動の生産性を上げることが想定されています。明らかに、合理的思考、論理的思考などと呼ばれている分野の思考が想定されています。
そして、人間の知的活動は合理的思考、論理的思考などといわれるものにとどまるものではなく、もっと多様な、もっと奥深い知的分野が大きく広がっていることは、古今東西の知的活動者たちが明らかにしてきたことです。合理的思考、論理的思考からのみでは人類は救済しえないという警鐘が永く永く鳴らされ続けてきたところです。
それにもかかわらず、思考環境を合理的思考、論理的思考に適合する温度に設定するというシンガポール、そして香港の発想が全世界に蔓延するとき、人類は先人たちの巨大な知的遺産を放棄し、大きな知的可能性を喪失し、人類にとってアンナチュラルな、すなわち非救済方向の道をたどることになってしまうのではないでしょうか。合理的思考、論理的思考にとっての適温ともっと多様な、もっと奥深い知的活動にとっての適温が同じであるという蓋然性はありません。熱帯の思考、寒冷の思考を捨て去ってしまっていいのでしょうか。