2007年9月26日

 行列をつくって待つ大衆を横目に、プラスアルファの料金は払っているから当然だと優先的に入場していく、そこにいささかのためらいもない、後ろめたさもない、こういう精神的雰囲気が社会一般に広まるのが「格差社会」というものの本質です。「格差社会」について統計的に確認できるか、できないかという議論がありましたが、その議論は「格差社会」についての本質的議論ではありません。


 JALとANAの2大航空会社がそれぞれ、「ファーストクラス」「スーパーシートプレミアム」を導入し、「上客」争奪戦を繰り広げるようです。両社は統計的「格差社会」の存在の有無ではなく、本質としての、すなわち日本人一般の精神的雰囲気の変化を見極めてこの高級化戦略に踏み出したものと思われます。「格差社会」の倫理的意味などには無頓着に、利のあるところに利を求めるというのは資本主義下の企業として当然の対応でしょう。

 こういう事例が社会全般に広がるのが「格差社会」というものです。

 

 社会の経済的生産力の状態、これを下部構造と呼び、その状態の基礎の上に形成される制度、醸成される精神的雰囲気等を上部構造と呼び、下部構造が上部構造を規定する(社会の経済的生産力の状態が社会の制度、精神的雰囲気を決める)と喝破したのがマルクス主義であり、その考え方が唯物史観と呼ばれるものです。

 これに対し、上部構造が下部構造を規定する場合もある(社会の制度、精神的雰囲気が経済の実質を決める場合もある)と唯物史観に反論したのが、マックス・ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でした。

 理論的にはマックス・ウエーバーの勝ち、ただし大局を把握するには(時代時代の階級構造を把握するには)唯物史観というのが知的怠惰な僕の考えです。