2010年5月5日(出来たて)

 資本主義的経済成長をもたらす契機を明らかにした大経済学者シュンペーターは資本主義衰退論者でした。

 そして、その衰退論の根拠は、資本主義の経済成長力の低下では決してありませんでした。

 すなわち、資本主義が衰退するのは、資本主義の発展が資本主義の政治的擁護者たちを衰退させてしまうこと、資本主義発展の契機を担うべき人々からの道徳的忠誠、情熱を期待し続けることができないということのためでした。

 すなわち、社会システムに必須の、人を導き、従わせ、心酔させる「権威」、「正統性」の喪失にこそ資本主義の衰退の原因があるとシュンペーターは考えていたのです。


 その資本主義の欠落を補うものとしてシュンペーターが見落としていたもの、それが「ナショナリズム」でした。

 大澤真幸著「ナショナリズムの由来」(講談社)がそのことを明らかにしています。

 不十分の読解ながら、僕なりの理解でそれを要約すれば次のようなことになります。


 資本主義とは、新商品、技術開発等々創造的破壊により「システムを解体する運動性によって構築されるという奇妙なシステム」であり、「膨張のための膨張」という「無限の過程」である。

そのためにできるだけ多くの価値基準、判断基準をその内部にとり込んで許容しようとし、その結果、社会規範の普遍化が生じることとなるが、そのことは社会規範の抽象化をもたらせてしまうことになる。

 その抽象化の先に待っているのは「空虚(無)」であり、「いかなる社会的規範もその効力を失ってしまう」という事態である。

 崩壊の危機を避けるため、社会システムにとっては、その統一性の維持のため、このような「空虚(無)」は「どうしても埋め合わされなくてはならない。」

 その際、採用される埋め合わせの規範は、他の「普遍思想(世界宗教)」とバッティングしてはならない。

 このため、「日常生活の細々とした行為(服装や食事の習慣など)など」「奇妙なほどに具象的で、行為やコミュニケーションの細部を主題化した」「特殊的・具象的な内容を担った規範が」「システムを解体する資本制の運動をシステム構築の機制へと反転させるために要請されるのである」。

 その要請にこたえるものこそが「ナショナリズム」なのである。


 そして、著者大澤は次のように書いています。

 「したがって、ナショナリズムが想定している『特殊な規範』――民族の文化――は、決して、実際の民族的伝統そのものではない。つまり、それは、十分に包括的な領域において斉しく成り立つはずの文化として『発明された伝統』である。そこでは、現実の伝統の有する地域的な多様性や集団的・個人的な偏倚は還元され尽くされているのだ。だから、ナショナルな伝統が近代化の過程に抗して呼び起される、という通俗的な見解は根本的に間違っている。ナショナルな伝統(とされているもの)が抑圧し、隠蔽しているのは、ほかならぬ、生の事実性としての民族の伝統そのものである。」

要するに「ナショナリズム」は「でっち上げ」だということでしょう。


 このような「ナショナリズム」が更にどのような性格を帯びることになるのか、といった点については、豊富な記述にあふれる同書に譲ることにしたいと思います。


 さて、題名を「助演女優賞」とした所以は、「助演」については、いうまでもなく、「ナショナリズム」が「資本主義」の欠けたるところを補うという役割を果たしていることによるものです。

 そして、「女優」については、普遍性を意味する「父なる世界」、「父なる言語」という言葉に対して、特殊性を意味する「母国(mother land)」「母語(mother tongue)」という言葉を使って、「ナショナリズム」が自らを女性化して認識していると考えられるからです。